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大和言葉の中にあるへのヘブライ語の言葉

以下に元々のヘブライ語から大和言葉への音の進化を説明します。

大和言葉の起源を調べながら、一つの不思議な現象を発見しましたのは、何千年が経っても、言葉に属してる音が変わったとしても(全ての言語は時間が経てば経つ程表音が多少変化しますが、グリムの法則と呼ばれて、グリム様が定義したいくつかの変化を大和言葉でも見えます)、それぞれの言葉の意味が全く同じ意味内容を保っています。数多くの言葉は3千年前の北イスラエル王国の崩壊以前と変わらず意味内容がと変わらず全く同じ解釈が残っています。ウラルトゥ語と違って、古代ヘブライ語はユダの南王国のお陰でその当時書かれた古代言語と意味内容を研究する資材が一杯が残っています。

母音に関する一言

南のユダ王国に保存されている 古代ヘブライ語の古典で使用されている母音と、大和言葉の母音を比べると、使われているものが違うと言うことがわかります。 南のユダ王国の古典が取り上げられていない事実は オムリの家が設立されたことによって北王国に大規模なフェニキア文化が導入がなされた。 この影響は宗教や芸術だけに止まらず、言語にも及んだ。

ジョシュア・フォックスは、自身の論文でA Sequence of Vowel Shifts in Phoenician and Related Languages、フェニキア地方周辺に数多くの言語がどの様に一連の母音の変化を成し遂げたかについて記述している。これらの変化は、北イスラエル王国の言語に影響を与えたが、南王国には与えなかった。その為、多くの場合大和言葉い見られる母音は南王国の文学の中で使われている母音と一致しない。


南王国北王国
a -> o
o -> u
u -> i
etc. -> ...


もう一つの留意点は、ヘブライ文字には子音のみがあり、母音が無いと言うことである。マソラ本文における母音方式は当時まだ確立されていなかったため、原文から取られた元々の母音がそのまま採用されたと考えるのは自然のことである。これが実際には私たちが大和言葉の中にみる母音に起こったことである。

上代日本語

また別の留意点は、鎌倉幕府が始まる以前に日本で話されていた 上代日本語には、現代の日本語よりも多くの母音と子音があったということである。[A History of the Japanese Language, Bjarke Frellesvig, 31頁].

もともとのヘブライ語と関係のある言葉はいくつもあるが、それらは本来の語義からいわゆる「意味的漂流」の過程を通っているものである。 例えば、ヘブライ語の「ナカム」という言葉は「仕返し」や「復讐」を意味するものであるが、大和言葉の「にくむ」は「嫌いになる」という意味である。 明らかに、「憎む」(嫌いになる)ような状況無しには、「復讐」はあり得ない。よってそのようにしてもともとの言葉が大和言葉の中で意味的に変化して行ったのかをみるのである。このような種類の言葉は非常に数多くあり、「辞書」のページには入れないと思うが、ブログに投稿する形で説明していく。

ここでの論議は大和言葉についてのものであるので、できるだけ中国語を語源とする漢字由来の言葉を省くようにした。従来の大和言葉は訓読みで読まれるものであるが、現代の日本語の語彙の大部分は、相当の数の漢字由来の言葉、つまり音読みで読まれるような言葉を含んでいる。 音読みの言葉に関してはここでは助けにはならないので、それらは省いてある。

言葉の組立

典型的なヘブライ語の単語は3つの子音から成り立ち、2つの母音がその3つの子音の間に挟まっている。

CV-CV-C

ウラルトゥ語では単語が子音で終わるということは稀である。したがって典型的な形は、母音が最後の子音の後に付けられているというものである。(あるいは、2つの子音が連なっている場合にはその間に母音を差し入れることになります)。その型は以下のようになる。

CV-CV-C + V

これがすべての大和言葉に当てはまる型である。唯一の例外は「ん」の文字で終わる言葉の場合である。(これは中国語の文字が日本に導入された時にもたらされたもののようである。)したがって、大和言葉は典型的な形としては3つの音節から成り、全ては母音で終わる。

CV-CV-CV

万葉仮名

多くの学者は万葉集 に表記されている言葉を見て、様々な種類の大和言葉の音節と関連した様々な文字の連携を発見している。 一番注目すべきなのは、大和民族が日本に到来してから千年以上経ってから紙に書かれた上代日本語にでさえ、現代の日本語よりも多くの子音と母音が使われていたということである。このことからもわかるように、もともとのヘブライ語の発音が現代の日本語の単語の多くにもはや反映されていない理由はここにある。

下に記したものは、「起源辞典」のページを編集している際に見出した子音の変化のリストである。 後々もともとのヘブライ語に取って代わった進化した発音と子音は、言葉の中においてどこに子音がおかれているかに大きく左右されている。 進化した発音の詳細については、今後のブログの中で紹介することにするが、覚えておくべき重要な事柄は、現代の日本語の子音の発音は、もともとの音から変化して 分裂してしまったということである。

ヘブライ語の文字 日本語の子音 ヘブライ語の言葉 意味 上代日本語 現代日本語
ב (beyt)
b
-> h, w, y or m baqer はかる pakaru はかる
ג (gimel)
g
-> k, h or m gahah 去る、治る、癒される kaheru 帰る
ה (he)
h
-> h, f, k, g, b, y, r, w or omitted naham 呻き、苦しむ、心配する - 悩む
ד (dalet)
d
-> d, t, ts, ch, z, or r dagar 集まる - 集る
ז (zayin)
z
-> z, s, sh, t, ts, ch zoth その人 sotsu そっち
ח (het)
ch
-> k, g, r chad 一つ -
l -> r, w or y/u/i/a/n (at front of the word) layela -
p -> h, f, w, y or omitted pada 配達する - 渡す
ph -> b, w, m, n, h, f, r kaphar 覆う - 被る
ts -> ts, t, s,sh, z tsa'aq 叫ぶ 騒ぐ
q -> k, g or h qatsa 削る - 削る
sh -> sh, s, ts, j, ch or z shegiah 誤り chigahu 違い
s -> s, sh, ts sagah 繁栄する - 栄える
t -> t, ts talah 吊るす - 垂れる
k -> k, g kachal 塗る - 書く
m -> m, b mezeg 混ぜる - 混ぜる
n -> n, m, d, r, w nagar 流れる - 流る
a -> a, i, o, h ani
a -> a, u, e, o, b, h, w, k, g or omitted arah 裸の araha 露わ
th -> d, t, ch, ts, s, z teshuah 救済 助く
y -> y, u yam
r -> r or a/o/e/u/y/h/n (at front of word) or omitted razah 薄くなる yasu 痩せる
w -> w, u wazar 罪悪感を感じる 後ろめたい


音韻的変化

上記の音韻対比の補足として、語源学のページにある表は、語彙レベルでの変化を説明したヘブライ語の音韻変化の例を示します。さらに、ブログのセクションで、ヘブライ語から大和言葉の音韻的な変化を詳しく扱います。

動詞

ヘブライ語の動詞には、完了形と未完了形という二つの時制があります。完了形は完了したことを表し、未完了形は進行形や未成事柄を表します。日本語も同様に将来形が存在しない言語です。日本語を初めて学習する英語話者の多くが、将来のことを表現するにはどのようにすれば良いかとよく尋ねます。例えば、「私は...をする」という意味を表したいときです。動詞の原型を使うことであると説明します。これは現在形と同一であり、時間をかけて理解することができる概念です。日本語は、ヘブライ語から受け継いだものです。

一般に、大和言葉の動詞はヘブライ語の動詞の第三人称男性単数の形に由来しています。この形は、ウラルト語の形態素が付け加えられて大和言葉の動詞の活用形を形成する基礎となる形です。

音韻と意味

古代ヘブライ語と日本語の間の音韻と意味の関係を解説する優れた2つの書籍が存在します。これらの著作の著者はそれぞれの言語領域に焦点を当てていますが、その内容を参考にすると、大和言葉の音韻が古ヘブライ語に由来することを確認できます。さらに、その背後にある文字の持つ意味は、元のヘブライ語と同じです。 これは、ジェフ・ベンナーによる『 古代ヘブライ語とアルファベット』、および 渡邉正道先生 の『日本語の語源』と『語源学からの日本語学習-音象徴というアプローチ』の3冊です。これらの書籍を比較検討すると、大和言葉における音源が古代ヘブライ語に由来していると明白になります。この理由は、派生した子音の意味が元のヘブライ語と完全に一致しているからです。

語源学のページに示す詳細な例と、ジェフ・ベンナーの語根リストの照合図が掲載されています。

これは、日本語の謎めいた語源です。ここで示したのは、ほんの一部に過ぎず、キンメリア族の「ゴムリ一家」(「溜める」という意味)が話していた言語を深く理解するためには、さらに研究が必要でしょう。また、ウラル・アルタイ語のほかの言語にもヘブライ語由来の単語が見られることから、これらの言語における発見が示唆に富んでいることをも認めています。しかし今は、日本語に集中します。

結論

ここまで説明したことを踏まえ、質問があります。日本の民はユダヤ系なのでしょうか? 厳密には違います。バビロンの亡命から帰還した人たちは、ユダ、ベンジャミン、シメオン、レビの各部族の残余でした。南部王国・ユダの王国でした。実は、「ユダヤ人」という語は、南王国を率いていたユダ部族の名前から来ています。北王国は、ヨセフの息子であるエフライムの部族が率いていました。バビロン捕囚の終わりに、北王国の各部族の子孫は北へと広がり 、ウラルトゥとメディアの馬に乗り、ユーラシア大陸の草原を遊牧地として走り回り、最終的には歴史上名を知られる遊牧連邦を形成したのです。そして、その結果、歴史上有名である多くの遊牧連盟が形成されました。

ユダ王国はバビロンの征服の後に数十年間荒れ果てたのに対し、イスラエル王国の土地は、アッシリア帝国からの他の都市の流入者たちによってすぐに再入植されました。この民族はサマリターンまたはヘブライ語ではクティムと呼ばれるようになりました。北王国の各部族は、自分の土地を追われ、征服することを除き、戻る場所がありませんでした。その一部が、サルゴン王やアッシリア軍をタバールへの遠征で撃破したのですが()、アッシリア帝国は依然として存在しており、返還すれば報復を受ける可能性があったのです。そのため、誰もが支配されていなかった北方へ馬に乗り、そこに住むことを選択したのでしょう。遊牧生活を取り、まくやに住み、定住するよりも移動することを好んだのです。一部は残りました。エサルハドン アシュルバルナルバルによって敗北したのです。しかし、勢力が弱まる以前に行動した者たちは、トゥガーマ(高天原)での勝利で、アッシリアからの解放を振り返ったことでしょう。 『古事記』では、この場所(トゥガーマの原で、アッシリアの記録ではトゥルガーリムと見なされている場所であり、コマゲネに置かれた*)は、神々の生まれた場所として描写されています。それは、おそらく惑星最強の軍隊を撃破し、サマリヤの壊滅から20年後復讐を果たしたことに対する彼ら自身の気分を説明しています。トルク民族はその大規模なキャンペーンの地名に由来する可能性があり、それらの後に最高の神 に対する関連が生まれたかもしれません。

北方王国の一族であるスキタイの末裔はヨーロッパと北インドに、そしてキンメリアの末裔は主にアジアに定住しました。キンメリアの末裔の中には 地球の果てまで到達した人々もいます。彼らは日本人にもヘブライ語の影響を及ぼしたのです。日本人とヨーロッパとアジアの多くの民族は、アッシリアの捕囚を生き延びた人たちの子孫です。彼らは聖典タンアハで「イスラエルの家」として知られる所謂「失われた十氏族」の子孫です。キンメリアの末裔にはモンゴル人、チベット人、トゥンギス族、トルコ族、イエニセイ族、朝鮮人などがいます。それはヨセフの息子たちが、多くの時代を超えた大規模な移住の責任を負うことをモーセが宣言したことを証明しています。イスラエルが彼らに与えた祝福。サマリアが陥落した後のアッシリア帝国に打ち勝つであろうこと。彼らは地球の中央に多くの人々となって民族として溢れるであろうこと。それはまた、今なおまくやに暮らす人々がいる理由も説明しています。彼らは聖書や歴史の記録からイスラエルの子孫として外されてしまったことでしょう。「民で無い」とされたことにより当然のことかもしれません。しかし、放蕩息子とその仲間たちが家族に戻れることを期待する人はまだいるでしょう。

ヨーロッパのキンメリアの末裔にはウラル語族の言語話者 がいます。彼らは日本語とも遠い関係があります。これらの言語を深く調査すると、古代ヘブライ語の起源を持つ単語がたくさん見つかるため、これらの民族もキンメリアの子孫であると考えられます。ここではキンメリアとそれに派生した言語(即ち日本語)に焦点を当てています。そのため、スキタイの子孫であるインド・ヨーロッパ言語は避けてきました。スキタイはメディア語でプロト・イラン語を導入しました。スキタイと後世のサカ族の史実は深く、遺伝学の研究において新たな発見が続出しており、それは多くの北インドヨーロッパ系民族がスキタイの出身であることを示唆しています。

歴史はキンメリア人やスキタイ人の活動について、ユーラシアステップでの逆年代順で記載されていますが、いくつかの確かな事実があります:
このようなことから、キンメリア人とスキタイ人が、イスラエル北部王国の生き残りの子孫だと結論づけます。

現在の歴史書は、2000年前の日本の民衆は、簡素な服装で素足でさまよい回っていたと主張していますが、大和言葉の語彙と当時の文化の深さを見ると、この主張は根拠に乏しいのです。日本民族の源流は、既に非常に深くて豊かな文化を持つ高度な社会から生まれたのです。現代にも、その影響を受けた祖先の習慣や行動が、日本の文化や精神に深く根付いています。

このWebサイトを提示さた目標は、書物で予言されていた事柄が実際に起こったこと、日本の国民がイスラエル北部王国の生き残りであることを示すことです。これは、ヘブライ語の語彙が古代日本語に根付いていることを証明しています。また、アジアの人々の中で、同じ祖先を持つ人たちが、エフライムと仲間たちの子孫であることも示唆しています。興味のある方は、歴史、遺伝学、言語学、考古学など様々な分野で、このことをさらに深く探求することを期待しています。

この課題に付いてもっと話し合いたい方は、どうぞお気軽に連絡下さい。

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